開発者が望む使い方がされるようになるには、究極的にはシステムで対応するしかない

 昨日のエントリでこんなことを書きました。

一般論として、リリースされてしまったwebサービスは、開発者の手を離れ、ユーザーが自由に使うことができるのではないかと思います。開発者が望む方向性であれ望まない方向性であれ、ユーザーはユーザー自身の発想・目的によってwebサービスを使っていけばいいと。

【大前提にしたい】あなたにはあなたの、わたしにはわたしの使い方がある - 好奇心と怠惰の間

これでは開発者の立つ瀬がない…ように思えますが、実は開発者には特権が与えられています。それは開発者を開発者たらしめているものですが、つまりシステムを改変することができるということですね。

 ユーザーはユーザー自身の発想・目的によってwebサービスを使います。それは大前提だと思いますし、それを止めることは誰にもできないとも思います。だから、開発者は、ユーザーの使い方が気に入らなければ、システムを改変して、開発者が望むようにしか使えないようにすればいいわけです。

 ただしそれがユーザーに受け入れられるかどうかはまた別の話です。あまりに強行的にやってしまえば――たとえば今回のはてスタ強制導入のように――猛反発を受けて、今後の開発者の意向すら聞き入れてもらえなくなってしまう恐れもあります。開発者はうまく立ち回らなければ、開発者の望む使い方を採用するユーザーはさらに減りかねないわけです。

 はてなの50%リリースというのは、ユーザーの幅広い発想を掘り出すという長所がある一方、開発者が想定してなかった使い方がメジャーになってしまい、軌道修正ができなくなってしまう短所もあるように思います。この短所をできるだけ解消しようとするのであれば、リリースする前にそのwebサービスの使い方を良く考えたり、はてラボで公開したりすることによって、どれくらい利用法があるのかを把握し、その上で開発者が望むような使い方をしてもらえるようにうまく誘導する必要があるのではないかと思いました。

 はてな性善説が好きなようですが*1、今回のはてスタの件なんかはいくらなんでもちょっと考えなさすぎなんじゃないかなと思いました。たとえ考えているにしても、考えている姿勢が見えないのであれば、それはユーザーにとってすれば考えてないに等しいように思います。「印象」というのは怖いものなのです。*2

*1:私もそういうスタンスは嫌いではありません。

*2:もちろん、ユーザーも理性的になる必要があるのでしょうが。