その観測はどのように使われているのか,という視点

天気予報は正確な観測がなければ成立しません。
そもそも無人化の段階で、目視による観測(初物・現在天気・雲形・視程などなど)が
廃止され、これまで70年以上にわたって行われた観測の価値が棄損されました。
(観測は継続されないと意味がない)

旧三島測候所のいま・・ ( 冬 ) - チーム森田の“天気で斬る!” - Yahoo!ブログ

 正確な観測がなければ成立しない,という点においては異論ありませんが,「そもそも〜」については異論あり。

 観測の価値というけれど,その目視観測の内容がどのように利用されてきたのかという視点からまずは検討しないと,本当の価値というものは見出せないと思います。初物や現在天気,雲形などが,現状の予報において,どのように活用されているかといえば,ほとんどされていないのが実情でしょう。少なくとも,現在の数値予報においてはまったく利用されていないはずです。

 確かに,ローカルな目視観測によって,より詳細に発生している雲の成因などを推測することができるでしょうが,それを有効に活用できていない現状では,観測の価値はほとんどないといえます。もちろんだからといって即目視観測をなくしてよいというわけでもありません。まずは,この目視観測の内容をどうやって有効に活用していくべきなのか,という議論が必要だと思います。

 今の世の中,ただ記録をとり続けるだけでは許されない気がします。それくらいのおおらかさがあってもいいのかもしれませんが,まあ,今はそんな風潮じゃないですよね。