id:rir6氏とid:ishmael氏の論争雑感

 ほんとに雑感。しかも夜遅いので言葉遣いが不適切かもしれない。その際はご指摘ください。そのうち書き直す可能性もあり。

 イデオロギー論争に持っていくってのはまさに詭弁家の用いる手法で、世の中そうやって煙に巻かれることが多々。そういう意味でid:rir6氏は頭がよい。ただ、そのイデオロギー論争ってのは、どんなイデオロギーがあるのかとか、イデオロギーそのものの価値とか性質とかを語るときには有用だけど、いったん相手のイデオロギーを認めたうえで、進めていくとどのような知見が得られていくのかという建設的な議論には不要*1

 id:ishmael氏はid:ishmael:20051218:1134924514で

京都の事件の女児は、すっかりないがしろにされているという寸法

という風に述べているけど、これだけの論争の火種になった記事はなんだろうと自分はきちんと見返したよ。そういう効果ももちろんある。ただやはり今「燃えている」方に意識がいってしまうのは否めないけれど。

 ちなみにその火種となった記事(id:ishmael:20051215:1134623745)を読んで、そしたら別に問題のない、むしろ社会を考察する上で役に立ちそうな推論、議論だったように思えた。その後のフォロー記事の理由の解説を読んで、さらにそう思った。

 id:rir6氏は火種の記事が「人を評価」している文章だといっていた。が、自分は、「人を評価」しているのではなく「観察・考察」しているのだと思う。評価というのは「良い」「悪い」といった価値判断(それは個人により基準の異なるものである)が含まれる。対して、観察や考察は対象からある性質を見出すだけであって、それが良いか悪いかなどについては言及しない。その観点から言えば、あの記事は被害者や加害者を評価することなく*2、観察・考察していると思った。

 またid:rir6氏は「後ろめたさ」について言及していたが、当然持たないよりは持ったほうがよい、持つべきものだろう。が、それを解説無しにいきなりランク付けをするのと、何かしら説明をつけてランクをつけるのでは、やはり違うだろう。ここで自分が重要だと思うのは、解説を書くことにより「後ろめたさ」が軽減されるというよりは、解説を書くことで自分が「後ろめたさ」を表明していることになり得るのではないかということである。それを踏まえて、解説を書けば「後ろめたさ」は結果的に軽減されるはずである。なぜなら、論拠などが示されており、相手方や第三者も反駁の余地が生まれるからだ。一方的につけられたランクには、文句のつけようがない。

 id:rir6氏は自分がどういう基準でランク付け・クラス分けを行っているのかは表明していない*3。ということは、彼*4自身が「後ろめたさ」を持っているのかどうか不明確だ。そこらへんに関する彼の“イデオロギー”を詳しく聞いてみたいところではある。

*1:演繹的だか帰納的だかって言葉を使えばすんなり解説できるだろうけど、頭働いてない上にうろ覚え。

*2:もちろん殺人はいけないことですよ。

*3:自分が探した限りなので、もしかしたらあるのかも。

*4:彼女かもしれないが、とりあえず彼。