2次創作と著作権と祭りと勝手に補足

 【煩悩是道場 - パクりを許容出来る・出来ない心理はムラ社会】を読んで、補足しつつ2次創作と著作権と祭りについて。最後に勝手に補足して意見する。

2次創作は持ちつ持たれつ

 2次創作自体はパクリとしてみなされることはない。なぜなら、その1次作品(原作)やそのキャラクターが好きで描く/書くものであり、その人独自の視点やストーリーなどが追加されて書かれるものであるからだ。コピペはただのコピペであり、1次作品のキャラクターや設定などを使って新たなストーリーや絵を展開するのが主な2次創作である。

 そして作者・筆者や版権元も、2次創作の多さが人気の程度を知る目安であることも知っているだろうし、またそこから輪が広まっていくことを期待しているだろう。そうでなければコミケに企業ブースというものが成り立つはずがない*1。大声あげて肯定しているわけでもないけど、否定しているわけでもなく、黙認といったところである。

著作権で問題になるとき

 2次創作が問題になるときは、たとえば上記のエントリにあるとおり、

非道い作品になると「まんまトレースだろ!」という作品が制作され、販売されて

いる場合である。実際に去年の秋口に問題になったこともある。また、去年の冬コミでも、とあるパロディゲームを作っていたサークルに版権元から警告が来て、販売自粛に至ったことがあった。このように、著作権者が意図する方向と大きくずれてしまった場合は、著作権者は警告したり訴訟したりするだろう。

 2次創作は、著作権法上はおそらく黒となるだろう。完璧にパクリではないにしろ、設定やキャラクターなどを拝借しているには違いない。しかし著作権法違反が親告罪であるから、著作権者もある程度は黙っていてくれている、という状況であると思う(利点もあるし)。それにすべての2次創作を確認することも事実上不可能だろう。実際の運用上は、程度の問題である。

2次創作のパクリが祭りにならない理由

 上記にあげたエントリで

「同人サークル○○が禿げしく**先生の作品をトレースしている件について」というような事で祭りになっているような気がしません。と言っても全スレを細かく見ているわけじゃないので祭りになっていたらすみませんとしか言いようがないのですが、少なくとも末吉氏と同程度の規模での炎上・祭りになったという記憶はありません。

ということが指摘されている。その理由としてはこんなことを考えてみた。

  • 同人板に「住む」人口が比較的少ないために、おおごとになるように見えない。
  • 同人を肯定する人――いわゆるオタクの多く――は表に出たがらない人が多いので、他板に持ち込むこともない。
  • 末吉氏の件と違って、関係してくる人が少ないため、興味を持たれにくい(パクッた側が同人サークルのであるのと商業作家であるのとではだいぶ違う)。

実際にはこんなところじゃないだろうか。

最後に勝手に補足して意見する

身内が発信する行為には優しいというのもムラ社会的であるといえよう。

「同人サークル○○が禿げしく**先生の作品をトレースしている件について」というような事で祭りになっているような気がしません。と言っても全スレを細かく見ているわけじゃないので祭りになっていたらすみませんとしか言いようがないのですが、少なくとも末吉氏と同程度の規模での炎上・祭りになったという記憶はありません。

上記のつながりは一見すると、「身内」とは「巨大掲示板を利用する人すべて」となって、その人たちがパクリ同人サークルに優しいと見えてしまうが、実は関係性のたとえであると考えられる。

 つまり、同人サークルという私的な「内」が、商業で公に活躍している作家の「外」のものをパクるということに、「優しい」ということだ。同じ論理でいくと、末吉氏の件は、末吉氏という「外」が、井上氏という「外」(「内」とも言える)の作品をパクッたから祭りになったわけであり、のまねこの件は、avexというより「外」なものが、2chという「内」からパクることにより祭りになった。「内」が「外」を扱う(パクる)上では「優しい」けど、逆に「外」が「内」や他の「外」を扱う(パクる)ときは厳しい、という意味だと考える。だからムラ社会的という。*2

 ただ、この論法で言えば、同人サークルというのは「外」とみなされることの方が多いと思う。商業誌と同じで同人誌もたいていお金と引き換えに購入するものだし、実際に同人板では2次創作サークルが別の2次創作サークルをパクッたことが問題にされている(「外」と「外」の関係)。しかも結構な量がある。これが祭りにならないのは、やはり同人という狭い世界の問題であるからだと思う。祭りになるためには、当事者の知名度・関心度の高さが必要だろう*3。2次創作同人が商業作品をパクるのも同じで、一方は商業作品でももう一方が同人となると、興味のない人が増えるのではないか。

 つまり、上記のエントリでは2次創作同人サークルが商業作品をパクるのを「内」が「外」をパクる関係と見て祭りが起こらないのを「ムラ社会的」といったのだけれど、実は「外」が「外」をパクッた関係であり、それが祭りにならなかったのは知名度・関心度が低かったからじゃないかということ。その意味で、2次創作のパクリが例に出されたのは不適切じゃないかな、とも思う。

*1:エロゲの企業だけでなく、小学館毎日新聞双葉社なども出展している。

*2:個人的にはこの「内・外」は「私・公」とも言い換えられるような気がする。

*3:もちろん電車男とかの例外もあるとは思うけど、だいたいは有名な人じゃないかな。電車男は次第に有名になったし。まあ面白くないと祭りにならないよね。/特定の界隈で有名な物事なら、その界隈で祭りにはなるけれど、その外側にはめったに波及しないと思う。