恋愛の絶対的価値

 【「誰でも恋愛できる」という幻想を捨てよ - nikkeibp.jp - 年収と非婚率の知られざる関係】を読んだり【はてなブックマーク - 「誰でも恋愛できる」という幻想を捨てよ - nikkeibp.jp - 年収と非婚率の知られざる関係】を読んだりしてふと思ったんだけど、恋愛はすばらしいものだって言う価値観でものすごく共有されてるなあと思った。

 たとえばそれは小谷野さんのこの発言に現れていて、

だから努力したからといって、誰もが東大に入れるわけではないし、マラソン選手になれるわけでもない。これと同じように、いくら努力しても恋愛ができない人はできない。

ここで「東大に入ること」や「マラソン選手になること」は価値あることとして位置づけられているわけであって、同様にして「恋愛すること」も価値あることと思われているわけで。よくよく考えると不思議なことだと思った。

 つまり、なぜころ問答に似たような感じで、“なぜ人は恋愛を価値あるものとみなすのか”というのが今自分の中で最もホットな*1話題になった*2。美しいストーリーとして恋愛を評価するのか、両者のやり取りから得るものがあるから価値あるものとされるのか、たいてい成就されないものとして希少価値が高まるのか…。

ん、でも

 上記に引用したエントリの表題は『「誰でも恋愛できる」という幻想を捨てよ』だった。「誰でも恋愛できる」という幻想、なんてあるのか? って言うかそんな幻想があったらさっき挙げた「たいてい成就されないものとして希少価値が高まる」というのは矛盾しているような気がする。こんがらがってきた。

ついでに

過激なことを言うようですが、人妻の性を解放して一妻多夫制にすればいい。昔は妊娠の問題がありましたが、今は避妊技術が発達したので、この問題はあまりないと思います。道徳的懸念さえ振り払ってしまえば「もてない男」はかなり救われる。

 これって、何の解決にもなってない気がするなあ。果たして「もてない男」が女性に接する、というか関係を持てる仕組みになりうるのか? より「もてない男」が淘汰されていくような気がするんだけど…考え違いかな。

*1:死語。

*2:つい2〜3時間前。