昨日(今朝)の記事の意図

 無言及トラックバック、究極の真理を見つけた気がした - 好奇心と怠惰の間だけ読んでると「考えるの放棄しただけかよ」と思われてしまいそうなので、補足。この記事はここで完結しているわけじゃなくて、あとがき――勇気を出して言ってみた - 好奇心と怠惰の間感想系blogと無言及トラックバックに関する今後の論の展開 - 好奇心と怠惰の間も読んでもらいたい、ということ。むしろこっち2つのほうが重要なのかも。

 今ある「無言及トラックバック」「トラックバック返し」の文化を感想系blogが支持する理由は、「いろいろなblogを見て回るのに便利」とか「横のつながりが大事」とかだった。そして、その理由を踏まえて今ある文化に代わるシステムなど(たとえばトラックバックセンターとかが挙げられている)が代案として提案されているわけだ。でも、感想系blogに実際はそんなたいした理由はなくて、単に「みんながやっているからであり、自分はそれを真似しているだけだから」「今の仕組みを変えたくないから」って言うだけなんじゃないかな、と思った。だとすると、理由を踏まえてた代案も台無し*1だなあと。じゃ、これが一番難しいことではあるんだけど、感想系blogの意識を変えていけばいいんじゃん?、というのが昨日の記事群の流れ。

 いろんなところを見てまわってみたんだけど、感想系blogの文化に代わるシステム(トラックバックセンターとかね)を考えようとする姿勢の人はたくさんいた。でも、上で述べたように意識を変えようという試みは見られなかったと思う。それが大変だと分かっているからか、それとも自分だけが気付いてない致命的な欠陥があるからかは分からないけど、これを考えるのって重要だと思う。結局新たなシステム(しつこいけどたとえばトラックバックセンターね)を広めるに当たってもある種の意識改革はしなくてはいけないわけだから、考えなくちゃいけないことだし。だったら最初から意識を変える方から考えたほうが手っ取り早いかも、なんてことも思う。

 ええと、長くなって申し訳ないんだけど、要するに今までの議論って「無言及トラックバックをやめさせてトラックバックセンターとか他のシステムにトラックバックさせようぜ」っていうのが多かったわけなんだけど、うちは「無言及トラックバックから有言及トラックバックに変えさせようぜ」っていう観点から論じてみたいと思った。で、その有言及トラックバックにしても「程度」があるわけだけど、自分はトラックバック、実際の落としどころ - 好奇心と怠惰の間で述べた「感想読了&トラックバックリスト」でやるのが一番受け入れられやすいのじゃないかな、と思う。

 結構無謀な試みだという気はするんだけど、実際にやった人を見かけない――失敗例も成功例も見かけないなら、やってみる価値はあるんじゃないかなあ。もしこういう試みが以前に行われている例を知っている方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。場合によっては見解を改めます(改めざるを得ない、とも言う)。

【追記@16:45】一応。システムを考えていく議論が無駄だとは思ってません。それ自体は有益な議論だと思うし、そのことについては多くの考える力のある方がすでに考えておられるので、そちらに任せようという姿勢です。

*1:意味がなくなっちゃうわけじゃないと思うけど。有益な議論であるとは思う。