webはリアルだったりバーチャルだったり。
各所でwebのリアル/バーチャル論がはやっているので、自分の思ったことをつらつらと。中学生のころからInternetなるものにつながっていた若者の1人が語るとこうなる、ということで。きっと誰かがすでに言ってることだろうからトラックバックも打たずに独り言。と思ったけど【H-Yamaguchi.net: ネットはいつ「リアル」の仲間入りするのだろうか】と、これを扱ってる【煩悩是道場 - ウエブはリアルかバーチャルか】と【〜大ブロ式〜 - (6)「ネットのリアル化」を巡る議論の混乱にそろそろ終止符を打・・・ちたい】に送る。特にsantaro_yさんの
でもってそろそろネットのリアル化を巡る議論の混乱は終わりにして欲しいと思う。
というのには、santaro_yさんとはおそらく別の観点から大いに賛成することになる。
webはリアルだ
なぜなら、webにつながっている端末の前にいるのは、紛れもなく人間だからだ。たとえシステムが勝手に応答を返す仕組みであっても、そのシステムを組んだのは結局のところ人間だ。だから、リアル*1。
blogを読んでコメントしたり、掲示板で議論したり、じゃれあったりするのはあくまで人同士であって、コンピュータがやっていることではない。コンピュータやwebはあくまでツールであって、それ自体がコミュニケーションをとってるわけじゃない。だから、webにおけるつながりは人間同士のつながりで、リアルだ。
webはバーチャルだ
なぜなら、今までの関係をばっさりとリセットすることができるからだ。愛用してきたHN、blog、サイトなどもろもろを一気に捨て去り、また新たなHNで、新たな環境の下で、新たな人として生きていける。そこに昔の自分を存在させる必要はない。リアルとは違って、一種のゲーム的感覚で、バーチャルなつながりだ。
それに、相手が誰だか分からない人とつながれる。実際には会ったこともない人だし、どんな姿をしていて、どんな歴史を歩んできたのかは分からない。そんな人といとも簡単につながることができる。それはリアルではほぼ不可能なことで、バーチャルだ。
webはバーチャルなリアルだ
なぜなら、自分がいろんな人格として同時に存在できるからだ。自分と言う存在は1つでしかないのに、そのある一面だけを出すことによって、いろんな人格として存在することができる。確かにそこにある人格はリアルなものだけれども、その現れ方はすごく限定的で、バーチャルだ。
自分はwebをどう捉えていきたいか
結局はこれがwebリアル/バーチャル論の命題なのではないかと思う。捉え方によって、そしてどのようにwebを用いていくかによって、webはリアルにもなりうるし、バーチャルにもなりうる。リアルとバーチャルという二面性を持ち、そしてそれがうまく両立している。リアルであることもバーチャルであることも許容する。肝心なのはそれを分かった上で「どうwebを捉えていくか」じゃなかろうか。
だから、そんなに考え込まなくてもいいんじゃない?
webは多様性を生み出して(顕かにして)くれた。その多様性にのっとれば、webがバーチャルだろうとリアルだろうといいじゃないか、と思う。要はその人がwebをどう捉えていきたいかという姿勢によって、webはリアルであったりバーチャルであったりする。その意味で「webのリアル化」と言及すること自体がナンセンスだし、リアル化を巡って混乱することがナンセンスだ。ある一面ばかり強調したって、仕方ないだろう。
webがリアルであるかバーチャルであるか、という問いで頭を悩ますよりも、webの持つ二面性を理解したうえで、どう扱うのか、どの面を強調したシステムを作るのか、とかが重要なんじゃないかなと思った。